ラクトガール〜少女密室殺人事件〜

 

 

 この作品はフィクションです。幻想の人物、団体名、出来事等とは関係ありません。

 

 

 

 

 ここは、吸血鬼の住まう紅い洋館――紅魔館の正餐室である。

 犬走椛は晩餐の席で、ひどく恐縮しながら料理を待っていた。

 妖怪の山の住民と紅魔館の住民での親睦会。その中での(椛にとっての)最大のイベントがこの晩餐会であった。

 いつもなら到底ありつける筈のないご馳走。その香りが椛の良く効く鼻に、強く、それでいて好意的に刺激を与えていた。

 過ぎたもてなしに委縮しているとはいっても、溢れ出る食欲を抑えることはできない。飲みこんでは溜まる唾液が口の端から漏れないよう、口を真一文字に結ぶ。

 幼子がディナーの到着を待ちわびて足をばたつかせるのと同じ原理で、椛は尻尾を左右に振って料理を待っていた。

 この様子だけを見れば、いくら椛が犬ではなくて狼だと主張してもにわかには信じてもらえないかもしれない。東風谷早苗はそう思いながら、微笑ましいその光景を眺めていた。

 

「どんな料理が出てくるか楽しみですね。メイド長の創作料理と聞きましたが」

 

 早苗は椛に言った。

 

「ええ、香りだけでも存分に楽しめるくらいですから。味の方も素晴らしいに違いありません」

 

 椛は鼻先を厨房へ向けて、香りごと、空気を吸い込む。

 そうしているうちにメイド長の十六夜咲夜がやって来た。咲夜は館の主の元へと寄り、晩餐の用意ができたことを伝えた。

 それを聞いた紅魔館の主の吸血鬼、レミリア・スカーレットは不満を漏らす。

 

「でも、まだパチェが来てないのよ」

 

 この晩餐会は妖怪の山の住民と紅魔館の住民の親睦会の一イベントである。

 紅魔館側は主以下(メイドを除いた)五名が出席する予定であったが、そのうちの一人のパチュリー・ノーレッジの姿が見えない。

 

「誰かパチェを呼んで来てくれないかしら。たぶん、いえ、絶対大図書館にいると思うから」

 

 レミリアの言葉に紅美鈴は即座に立ちあがった。

 

「私が行きます。しばしお待ち下さ――」

「私が大図書館へ行って参ります」

 

 咲夜が美鈴の言葉を遮った。

 時間を操る咲夜のことだ、手っ取り早く済ませてくれるだろう。誰もがそう信じて疑わなかった。

 しかし、咲夜は中々戻らず、レミリアが堪えかねてテーブルを叩き壊そうとする少し前にようやく戻ったのだった。

 

「随分と遅かったね」

 

 河城にとりが声を掛けた。にとりもまた親睦会に招待された一人である。

 

「時を操れるんじゃなかったの?」

 

 にとりは訝しげな表情で咲夜を見る。

咲夜はパチュリーを連れて来たわけではなかった。

 

「あら、パチェはどうしたの?」

「それが――少し、変なのです」

 

 いつもは瀟洒な表情を湛えた顔が一瞬、不安で陰る。レミリアはそれを機敏に感じ取り、何か異常事態が起こっていることを悟る。

 

「大図書館の扉が開かないのです。それで扉を叩いて、中へ声を掛けたのですが反応がありませんでした」

「それはおかしいです」

 

 咲夜の話を聞き小悪魔は不安げな表情になる。

 その様子を見て鍵山雛は言った。

 

「別におかしなことはないじゃない。鍵を閉めたまま、中で居眠りでもしてるんでしょう」

「いいえ、やっぱり変よ」

 

 レミリアの妹、フランドール・スカーレットが言う。

 

「だって、大図書館の鍵は扉の外側に付いてるのよ。鍵の開け閉めは外側からしかできないのだから、扉が開かないなんておかしいわ」

 

 咲夜はフランドールの言葉に頷いた。

 

「ええ、ですから、何事かあったのではないかと。どう致しましょう、扉を壊してでも中へ入るべきでしょうか?」

 

 咲夜はレミリアに判断を仰ぎに来たのだった。

 

「そうね。フラン、食事の前に少し体を動かしてもらおうかしら」

 

 フランドールは得意げな表情で頷き、席を立って、正餐室から出て行った。

 

「私たちも行きましょう」

 

 早苗は椛に声を掛ける。

 

「私も、何か悪い予感がします」

 

 正餐室を出る早苗の後に椛が続き、それに釣られるように他の者も次々と出て行った。

 

 

 

 

 長い廊下を歩いていた筈であったが、存外に早く目的の扉に辿り着いた。時を操るメイド長の仕業だろう、椛はそう考えた。

 椛は大扉の取っ手を握って押してみるが、開く気配はない。

 

「本当に開きませんね。まさか、扉はこちら側に開く、というわけではありませんよね」

 

 椛は逆に手前に扉を引いてみる。

 

「洋館の玄関の扉は大抵内開きです。ここは玄関ではありませんが、紅魔館の本館と大図書館は趣の違う造りなので、この大扉は玄関のような役割をしていると見て差し支えないでしょう」

 

 へえー。椛がそう声を漏らしながら引いてみるが、案の定、開く様子はない。

 

「それじゃ、扉から離れて。勢い余ってあなたまで壊してしまうかもしれないわ」

 

 フランドールの言葉を聞いて、椛は飛び退いた。

 

「うふふ、狼なのに臆病なのね。私はそんな不器用じゃないのに」

「フラン、いいから早く扉を壊しなさい」

「はーい」

 

 フランドールはあらゆるものを破壊する能力を持っているが、普段は館の中の物を壊すことを禁じられていて、能力を使う機会に恵まれていない。それだけに、正当に破壊行為ができるこの機会を楽しんでいるようだ。

 フランドールは容易く扉を壊した。

 粉砕という言葉そのままに扉は粒子と化した。

 扉は0次元に圧縮されたかのように跡形も無くなった。

 

「はい、一丁上がり」

 

 扉が無くなったことで、開かなかった理由がわかった。

 大きな図書館の大きな本棚。その一つが扉の前に倒れていたのだ。倒れていた本棚の天板が扉を押さえていた形となっている。

 見れば本棚は人間を五人、垂直に立てたのと同じくらいの高さを持つものである。それに本がぎっしりと詰まっていた。

 相当な重さだろう。事実、この本棚のために扉を開けることができなかったのだから。

 椛は試しに倒れた本棚を持ち上げて元に戻そうとした。ようやく1、2cmほど浮き上がったところで、フランドールがその隙間に指を一本入れて、その指で軽々と本棚を立ててしまった。椛は少しへこんだ。

 

「ははあ、これで出るに出られなくなっていたんだね」

 

 にとりは笑いを浮かべながら言った。脆弱な大図書館の主が、本棚を動かせずに慌てふためく姿でも幻視したのだろうか。

 変ね、そう呟くレミリアは不満気な顔である。

 

「どうして本棚が倒れているのかしら。それに、ここが塞がっていても、出ようと思えば外に出られるわ。ここの天井が開くようになっていて、そこから地上に出られるの」

 

 椛は天井を見上げた。

 丸い天窓には雨の水滴が打ち据えられていた。

 昼過ぎ頃から降り始めた雨は未だ止んでいなかった。

 その丸い天窓を取り囲むように同心円状の切り込みが、そして、天窓を中心として放射状の切り込みが走っている。

 切れ込みによって分けられた部分の一つ一つが節で繋がっていて、スライドするようになっている。にとりは大仰な装置を眺めて感心していた。

 

「こりゃあ、すごい。時計台の技術といい、大した技術だね」

 

 にとりは隣にいる射命丸文に語り掛けたが、反応は芳しくなかった。

 

「どうやら、感心してる場合ではなさそうですよ」

 文と同様に椛もその異常を鋭敏に嗅ぎ取った。

 椛はレミリアの方を向いて言った。

 

「この奥から、血の臭いがします」

 

 椛が言うと、皆の視線が椛へと注がれた。並々ならぬ緊迫を湛えた眼に、椛は慌ててまごついてしまう。

 

「行ってみましょう、この先に」

 フランドールは奥へと進んで行く。椛はその後を追った。本棚の乱立する密林を掻き分けて臭いの元へと歩を進める。

 本棚が途切れて開けた空間に辿り着く。

 立ち止まっていたフランドールが床を指差している。机が邪魔になっていてそこに何があるのか見えない。椛は机を迂回して、改めて床を見た。

 そこにパチュリー・ノーレッジが横たわっていた。

 顔は向こう側を向いていて、背中側だけが見えるだけだった。

 体越しに血溜まりがあるのを見た。

 吐血でもして、倒れたのだろうか。

 否、それにしては出血が多過ぎた。

 

「大丈夫ですか、パチュリーさん!」

 

 椛は駆け寄ってパチュリーの肩を掴んで仰向けにした。

 この瞬間、椛は脊髄反射で飛び退いた。

 

「どうかしましたか?」

 

 早苗を筆頭に他の者がやって来た。

 椛は戦々恐々とした顔でパチュリーを指差した。

 指の先を見て皆が戦慄した。

 その血溜まりは吐血によるものではなかった。

 パチュリーの胸には、一本のナイフが深々と突き刺さっていた。

 

 

 

 

「これは……密室殺人よ」

 

 出し抜けにフランドールが言った。

 

「だってそうじゃない。誰も入れない部屋の中にナイフで刺された死体。これは絶対密室殺人よ」

 

 まだ死亡確認もしていないのに、気の早いことである。

 それに、心なしか、嬉しそうにも見える。

 早苗は放心している椛に言った。

 

「ちょっと待って下さい。パチュリーさんは本当に死んでいるのでしょうか。椛さん、脈を取ってみて下さい」

 

 椛は再びパチュリーに近寄り、左の手首を握った。ひどく冷たいその手。脈を読み取ることはできなかった。

 

「脈がありません。やはり――」

 

 死んでいる、椛はそう判断した。

 

「そう」

 

 パチュリーの友人であるレミリアはそれだけ言って黙ってしまった。その表情からは裏の情まで見通すことはできなかった。

 

「あの……」

 

 小悪魔が控えめに館の主に呼び掛ける。

 

「私は午後2時過ぎから外出していたのですが、その前にはたしかにパチュリー様は、その……」

「生きていた、というわけね」

 

 レミリアの言葉に小悪魔はただただ頷いた。

 

「それは私も保証いたします」

 

 咲夜が瀟洒に証言する。

 

「小悪魔さんが外出した後、ティーカップを下げたのですが、そのときパチュリー様はいつものように本を読んでいらっしゃいました」

「それはいつの話?」

 

 レミリアの言葉に咲夜は惑うことなく答える。

 

「午後212分のことです」

「じゃあ、皆に聞くけど、それ以降に大図書館に入った者はいるかしら?」

 

 まるで尋問である。

 しかし館の主として館内で起こった問題に対応するのは当然のこととも言える。加えて、今までその役割を負っていたパチュリーがこのような目に遭っているのだ。

 主として、問題に対処しなければいけない。レミリアはそれを自覚しているのだ。

 幼き主はこの状況下でも屹然とした表情を崩さない、否、この状況下だからこそ表情を崩さないでいる。

 椛はカリスマの片鱗を垣間見た気がした。

 結局、誰も手を上げなかった。

 少なくともこの中には、その後大図書館を訪れた者はいない。皆の主張を信用するならば、そういうことになる。

 椛はそこで二つの場合を考えた。

 

・午後212分以降に大図書館に訪れた者がいた場合。

 その場合、その者が犯人である可能性が高い。

 犯人はこの中にいるのかもしれないし、すでに逃げているのかもしれない。

 

・午後212分以降に大図書館に訪れた者がいない場合。

 その場合、最後にパチュリーの姿を見たと言う咲夜が一番疑わしい。小悪魔と咲夜の共謀という線も考えられる。

 

 ただ、咲夜は紅魔館のメイド長である。そのメイド長が主に嘘をつくとは思えない。

 何しろ普通のメイドではなく、瀟洒なメイド長なのだ。主に背くようなことはできないはずだ。

 そこで雛が言った。

 

「普通、密室に死体があったなら、自殺を疑うと思うのだけど」

 

 ――あ、そうだ。

 椛はそれを失念していた。誰も――少なくとも扉が壊されるまで――入れない部屋で死んでいたのだ。自殺の線を考えない方がおかしな話だ。

 職業柄、大きな事件に触れる機会があるだけに物事を大事に捉えるようになってしまったようだ。椛はそこで、素直に認識を改めた。

 

「常識に囚われてはいけませんよ、雛さん」

 

 早苗は続けて言う。

 

「とは言っても、その可能性も捨てきれません。もし自殺だとしたなら、遺書が残っているかもしれません。探してみましょう」

 

 皆が早苗の言葉に納得し、遺書を探しに方々に散って行った。その中で、探すように言った張本人である早苗はその場に留まっていた。

 

 

 

 

 依然としてパチュリーの様子を疑わし気に窺っている早苗に、椛は尋ねた。

 

「どうかしたのですか?」

 

 いえ、早苗はそう前置きを入れて、パチュリーを眺めたままで答えた。

 

「心臓を一突き。これが殺人だとすれば人見……顔見知りの犯行です」

「今、人見知りと言いそうになりましたね」

「違います。"Hit me."と言ったのです」

「フォローになってないですよ」

 

 早苗は矢庭に椛の目の前に右拳を振り上げた。椛は体をのけ反らせて拳から顔を遠ざけた。

 

「な、何ですか?殴られるかと……」

「おともだちパンチではないですよ」

 

 椛には通じなかった。ダダ滑りだった。

 よく見ると、拳は強く握られてはおらず、隙間が空いている。人差指と親指で輪が形作られている。

 透明な何かを握っているような形だ。

 

「私が今、ナイフを持っているとしましょう。そうしたら椛さんはどう思いますか?」

「『危ないなあ……』いえ、『どうしてナイフを持っているんだろう?』でしょうか」

「ナイフを持ってる理由が気になるのですね」

「何故持っているのですか?」

 

 椛が尋ねると、早苗はにやりと笑って行った。

 

「椛さんを殺すためですよ」

「そんなあ、まさかそんなことが――」

「えいっ!」

 

 早苗はそう声を上げて、拳で椛の胸を突いた。

 グサリ、と早苗が擬音語を呟くと、椛はワンテンポ遅れて、

 

「ぎゃっ!」

 

 と小さく野暮ったい悲鳴を上げた。

 

「犬だけに『ワン』テンポ遅れたのですね」

「うう、私は犬じゃなくて狼ですよぅ……」

 

 架空のナイフと一緒に、言葉のナイフも刺さったようである。

 

「とまれ、このように見知った者であるなら虚を突いて心臓を刺すことができるでしょう。しかし全く面識のない者だったらそうはいきません。ナイフを持っていたら無条件に警戒されてしまいますし、襲われるときも手をかざして首や心臓を守ったり、それ以前に逃げたりするでしょう。そうであったなら手や首、背中など、心臓以外の各部位に傷がないのはおかしな話ですよね」

「言われてみればそうですね。たしかに面識のある者が犯人である可能性が高いと言えます」

「ええ、ですが、殺人ではなく自殺だった場合はこれらの考えは意味のないものになりますね」

 

 それを今確認してもらっているわけですが、早苗はそう結んだ。

 

「みんなー、ちょっと来てー!」

 

 フランドールの声が館内に響いた。図書館で大声を出すのはご法度なのだが、緊急事態なので仕方がない。早苗と椛は声のする方へと向かった。

 皆が集まったのを確認してフランドールが言う。フランドールは机の側に立っていて、その机に載っている地球儀を指差している。

 

「この地球儀、血の跡が付いているわ」

 

 たしかに地球儀の赤道のラインの一部をなぞるように血痕が付着していた。太平洋から延びた線は南亜米利加大陸の中ほどまで掛かっている。

 着いた血の量にムラがあるようで、大陸の中ほどには山のように膨らんでいる点があった。

 先ほどパチュリーを見たときには、右手の人差し指に血が付いていた。これはパチュリーが記したものと見て間違いないだろう、椛はそう判じた。

 

「これはダイニングメッセージですね」

「椛さん、それでは台所のメッセージという意味です。『冷蔵庫におやつが入っています』とか『夕飯はレンジでチンして食べてね』という冷蔵庫に磁石で貼ってあるような、鍵っ子の悲哀を感じさせるメッセージの印象を持たれてしまいます」

 

 正しくはダイイングメッセージである。

 床を見渡してみると、死体の発見現場からここまでには垂れた血が残っている。この地点から倒れていた場所まで移動したということだろうか。

 

「ほうら、やっぱりパチュリーは殺されたの。だからこれは密室殺人なのよ。この血痕は犯人を示すメッセージなんだわ」

 

 フランドールは何だか楽しそうである。

 

「だとしたら――」

 

 雛が怯えた表情で言った。

 

「そのメッセージは誰を示しているのかしら?」

 

 恐れるのも無理はないだろう。

 早苗は顔見知りの犯行の可能性が高いと言った。今ここに集まっている者の中に犯人がいるのかもしれないのである。何食わぬ顔をして一緒に行動していることも考えられる。

 一同は地球儀に記されたメッセージについて考えを巡らすことにした。

 

 

 

 

「ふうむ、赤道をなぞっている線ね……」

 

 にとりが軍手をした手で地球儀に触れる。

 指紋が付かないように――と科学的素養と知識を持ち合わせている彼女らしい配慮ではあるが、機械油の染みたそれで触れるのは不適切だったかもしれない。無論本人はそれを自覚していない。

 早苗は地球儀における国の塗り分けを見る。早苗が外の世界にいた当時から数えて、最大でも約二百年前のものであった。骨董品と称して遜色ないものである。

 にとりは手慰みに任せて地球儀を回す。十二時間ほど時間が逆行したところで、にとりは地球の他転(自転ではないのだからそう言うほかない)を止めた。

 

「これは何だい?」

 

 にとりが聞くまでもなく皆がそれを見て考えていた。中国大陸の一部に、血で記された点があった。線の後は点が出てきたというわけだ。

 早苗はその一点に焦点を合わせながら、

 

「時代を考えれば、ここは清ですね」

 

 地球儀上の『清』という文字を探す。しかし見つけることはできない、どうやら『清』の文字がその点によって塗りつぶされているようだ。

 

「清ということは、つまりは中国――」

 

 雛が言うと皆の視線が美鈴に集中した。

 美鈴は華人――すなわち中国人である。

 

「それに、赤道をなぞっているのは『赤』を、転じて『紅』を示しているとも取れるわ」

 

 地球儀に記された血痕は『華人の紅美鈴』を示しているという雛の推理に、紅魔館の主は頷いた。

 

「なるほど。美鈴、あなたが犯人だったのね」

「ええっ、違いますって!」

 

 美鈴は慌てて否定する。

 

「私にそんなことできるわけがありません」

「何よ、言っておきたいことがあるなら、今のうちに言いなさい」

 

 レミリアは圧力を加える。相当な説得力がなければ納得させることはできそうにない。

 

「私は朝から門番をしていて、その後は客人の応対をしていたのですから、そんなことをする余裕なんて――」

 

 ないだろうな、椛はそう思う。

 事実、椛は美鈴に館の中を案内してもらっていた。美鈴の言葉に嘘がないことは自分がよく知っている。

 だとしたら、このダイイングメッセージが示しているものは何であるのか。改めて考える必要が出てきてしまう。

 

「そもそも――」

 

 椛は言及する。

 

「美鈴さんを犯人として指摘するなら、わざわざ地球儀の中国を示したり、赤道をなぞったりする必要はないのではないですか?」

 

 紅美鈴とそのまま名前を書けばいいでしょう、椛の言葉に皆が納得する。そう、それだけの話だ。

 しかし、レミリアは、

 

「それは美鈴の名前を書こうとしたときに、『まあ、誰だっけ。面倒だから中国でいいや』って思ったからよ」

 

 と、美鈴が犯人であると譲らない。

 そんなことを考えるということが本当に起こり得るものなのだろうか。

 

「とりあえず、美鈴は縛って地下牢に繋いで閉じ込めて鞭で打っておきましょう」

「とりあえずの処置にしては重くないですか?!

 

 それでも紅魔館内では主の言葉は絶対である。

 

「失礼ですが――」

 

 早苗が凛とした声で言う。

 

「縛って地下牢に繋いで閉じ込めて鞭で打って凌●するというのは、いささか早計かと」

「早苗さん、一つ多いです」

 

 椛は突っ込みを入れた。

 その一つのために規制されてしまいそうである。

 

「まだこの部屋の密室状況――正しくは密室であった状況ですが――についての謎が残っています。本棚が扉を塞いでいましたが、本棚は扉にぴったりとくっついていました。これは本棚を内側から押し当てたということになりませんか?」

 

 つまり密室は大図書館の内側からしか造れないということになる。

 

「ですから、ずっと屋外にいた美鈴さんには不可能ということになります」

 

 レミリアも納得したような、それでいて釈然としない意思を伝える。

 

「じゃあ、犯人は誰なの?どうして密室なんてものが出来上がったの?」

 

 レミリアの疑問は皆の疑問でもあった。

 つまるところ、謎は二点に集約される。

 ――メッセージが示しているのは何か?

 ――密室にすることに意味はあるのか?

 この二点に対し論理的な説明ができれば、事件は解決できるはずだ。椛はそう確信する。

 椛は改めて事件と向き合うことにした。

 

 

 

 

 椛はとりあえず現在紅魔館にいる者と、犯行が行われたと思われる時間帯――咲夜が最後に姿を確認した午後212分から、パチュリーが倒れているのを発見した午後69分まで――前後の行動をまとめることにした。

 以下、犬走椛による覚書を記すことにする。

 注)覚書の中で書かれている時刻は断りがない限り、当日の午後のことである。

 

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 紅魔館の面々

○レミリア・スカーレット

 紅魔館の主の吸血鬼。パチュリーの友人である。

 朝から部屋でずっと眠っていたと主張している。

 午後5時半に咲夜に迎えられ正餐室へ向かった。

 寝ている間の現場不在証明――アリバイはない。

 備考:『運命を操る程度の能力』を持っている。

 

○十六夜咲夜

 紅魔館のメイド長。完全で瀟洒なメイド長とも。

 2時以降図書館に入っていないと主張している。

 主を迎えるまで厨房にいた姿が確認されている。

 備考:『時間を操る程度の能力』を持っている。

 実質的に終始アリバイがないようなものである。

 

○紅美鈴

 紅魔館の門番。華人小娘という二つ名もある。

 朝からずっと門番をしていたと証言している。

 3時以降は椛と早苗に紅魔館を案内していた。

 終始アリバイが成立していると主張している。

 備考:『気を使う程度の能力』を持っている。

 

○小悪魔

 図書館での雑務をこなす、パチュリーの使い魔。

 2時過ぎから香霖堂で本を見繕っていたと言う。

 店主の証言が得られれば、アリバイは成立する。

 備考:大図書館内の構造について熟知している。

 何らかの装置を仕掛けるのも可能かもしれない。

 

○フランドール・スカーレット

 レミリアの妹。吸血鬼で魔法少女。少々気がふれていると目される。

 問題の時間帯は、一人で館内をふらふらと回っていたと言っている。

 4時頃に遊戯室に現れ、一時間ほどして去ったのが目撃されている。

 備考:『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を持っている。

 

○平メイドたち

 数名のグループごとに行動していたため、皆が互いにアリバイを成立させている。

 しかし口裏を合わせているだけという可能性もあり得るので、一概には言えない。

 

 客人の面々

○犬走椛

 山の自衛隊の白狼天狗。親睦会に招かれた客人。

 3時に紅魔館を訪れて館内の案内を受けていた。

 4時から晩餐の時間まではずっと遊戯室にいた。

 大図書館の中は足を踏み入れてすらいなかった。

 備考:『千里先まで見通す程度の能力』を持つ。

 

○東風谷早苗

 妖怪の山にある守矢の神社の風祝(巫女)である。

 椛と共に行動していたので同様にアリバイを持つ。

 備考:『奇跡を起こす程度の能力』を持っている。

 

○河城にとり

 妖怪の山の河童。エンジニアとして知られる。

 正午に紅魔館を訪れ時計台の見学をしていた。

 1時半からは一人で紅魔館をうろついていた。

 大図書館には訪れていないと主張をしている。

 備考:『水を操る程度の能力』を持っている。

 

○射命丸文

 妖怪の山の烏天狗。新聞記者として知られる。

 1時半まではにとりと一緒に行動をしていた。

 その後は一人で館内の撮影をしていたという。

 アリバイはないが写真が証拠と主張している。

 備考:『風を操る程度の能力』を持っている。

 

○鍵山雛

 妖怪の山の住民。悲劇の流し雛軍団の長を務める。

 3時半に紅魔館を訪れ、庭の花を眺めてたと言う。

 晩餐の時間になるまでは一人で館内を回っていた。

 終始一人で行動してたのでアリバイを持ってない。

 備考:『厄をため込む程度の能力』を持っている。

 

○秋姉妹

 遊戯室のバーカウンターでずっと飲酒していた。

 その様子は、美鈴と椛と早苗が確認をしている。

 今は酔い潰れていて客間のベッドで眠っている。

 備考:穣子は『豊穣を司る程度の能力』を持ち、

 静葉は『紅葉を司る程度の能力』を持っている。

 

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「随分と几帳面にまとめてますね」

 

 早苗が椛の手帳を覗いて言った。

 

「何事も、形から入らないと――」

 

 いけない性質なのですよ、椛は苦笑いをして言う。

 こういった調査は、事件を扱う新聞記者辺りがやりそうなものなのだが、烏天狗はパチュリーの死体を撮影するのに夢中である。

 外部の者の中で確固たるアリバイがあるのは椛と早苗だけだったので、調査をすることを拒まれることはなかった。むしろ、好きにしろと半ば放逐されたといった体である。

 

「できることなら、皆を疑いたくないのですが……」

 

 犯人はいないと信じたいのが人情ならぬ天狗情だ。しかし、起きてしまったことがことだけに甘いことは言っていられない。

 

「ですが、ここまで書き込んでおいて、ここに書かれていない者が犯人だったら虚しいですね」

 

 椛が手帳の中の覚書を示して言った。

 この覚書は随分と苦心してまとめたものである。犯人がここに記載されていない者(招待客ではない外部の者)であったならこれは全く意味のないものにある。それこそ反故になってしまうということだ。

 早苗は椛の不安を慮って言った。

 

「安心して下さい。犯人はこの中にいますよ」

 

 椛は早苗の言葉に気が楽になった。

 

「いやあ、これが無駄でなくてよかったです……」

 

 沈黙。

 

 沈黙。

 

 沈黙。

 

「って、それじゃ安心できないじゃないですか!

 それに、犯人が誰かわかっているのですか?」

 

 早苗はさも当然のように、

 

「ええ。わからないと言った覚えはありませんよ。犯人の名はこの覚書の中にもあります」

 

 と答えた。

 では――と椛は強く言ったが、その後が続かない。早苗の行動に対して理解が及ばない、思考が働かないのだ。

 

「『では、どうして犯人を指摘しないのか?』ということですね」

 

 椛はぶんぶんと首を縦に振る。

 

「ですから、それは単に犯人の自供を待っているからに過ぎません。犯人を暴くということだけが、正しいあり方ではないのですから」

 

 椛は犯人の懺悔を聞き入れる早苗の姿を幻視する。その中では早苗は基督教の尼層の格好をしていた。宗旨違いもいいところである。

 

「犯人が名乗り出ない場合はどうするのですか?」

「その場合は犯人を暴かなければならないでしょうね。しかし、それは私がする必要性はありません。他に真実に気付いた方がいるなら、その方に任せてもいいでしょう。仮に犯人に名乗り出る意思があったとして、その前に犯人を暴こうとする者がいても止めることはありません」

「犯人が捕まることに変わりはないと?」

 

 そういうことです、早苗は言った。

 しかし、そう思わせぶりなことを言われてしまったら、犯人を知りたいという知識欲を押さえることができない。出来立ての料理を香りだけ嗅がされて、取り上げられてしまったような気分である。

 椛はそこで、まだ晩飯を食べていないことを思い出した。考えてみれば、それどころではなかった。

 思い出した途端に腹が空いてしまう。死体を見てもまだ食欲が出てくるというのはおかしな話だ。

 

「そうですね、料理も――瀟洒なメイド長のことですから――冷めていないとは思いますが、徒に先延ばしにするのも、野暮というもの」

 

 かく言う私もお腹が空いているのです、と早苗は笑った。

 

「それでは始めましょうか」

 

 何を、椛が尋ねる前に早苗は答える。

 

「解答編ですよ。椛さんにも協力して頂きたいのですが」

「はい、私にできることなら何なりと」

 

 では、早苗は椛を一瞥する。

 

「皆をここに集めてもらえませんか。客間にいるへべれけの秋姉妹も連れて来てください」

 

 はい、と椛は返事をして駆け出して行った。

 寸刻の間に紅魔館にいる全員(メイド妖精は多いので図書館の外で待機)が集まった。早苗は一人、皆の前に躍り出た。そして言う。

 

「これで準備は整いました――」

 

 必然、皆はこの現人神を注視することになる。

 そして一様に、黙って次の言葉を待っていた。

 

「それではお腹が空いたので解答編を始めます」

 

 真剣味のない、解答編の始まりの合図だった。

 

 

 

 

「皆さんに集まってもらったのは他でもありません」

 

 早苗はお決まりの常套句を口にする。

 

「この事件の犯人を明らかにするためです」

 

 一同の間でどよめきが起こった。これもまたお決まりの反応である。その喧騒の中で、紅魔館の主レミリアの幼く、それでいて威厳のある声が早苗に向けられる。

 

「犯人は一体誰なの?」

 

 単刀直入な質問ではあるが、思えば聞くべきことはそれだけなのである。

 

「犯人はパチュリーさんの残したダイイングメッセージに示されていました」

 

 早苗がそう言うと、次は皆の視線が美鈴に集まる。

 

「だから私は犯人じゃありませんって!」

 

 美鈴は幾度向けられたかわからない疑いの目に辟易していた。早苗は美鈴の言葉を首肯する。

 

「その通りです。このダイイングメッセージが示す犯人は別にいます」

「だから、それが誰かと聞いているのよ!」

 

 レミリアが声を荒げて言った。早苗は吸血鬼の恫喝にも動じず綽然としている。

 

「まあ、それは置いといて」

「置いてしまうのですか!」

 

 椛が突っ込みを入れる。

 

「まず密室の謎から解いていきましょう」

 

 椛は完全に早苗のペースに乗せられていた。他の者も同様であった。

 

「私たちがこの大図書館に入ろうとしたとき、扉は倒れた本棚によって塞がれていました。本棚は扉の方へぴたりと押し付けられていたので、扉は全く開きませんでした。それ故に図書館の内側からしかこの密室条件を造り出すことができないということは先ほども言った通りです。では、一体誰が何のためにこの密室を造ったのでしょう。椛さん、わかりますでしょうか?」

「えーと……」

 

 椛は急に話を振られてまごついてしまう。

 

「えー、死体を発見させないためでしょうか。扉が開かなければ死体は発見されなかったわけですし。つまり、それが目的ということではないですか?」

「では、椛さんは犯人が密室を造り上げたと、そう考えるわけですね」

「違うのですか?」

「犯人が密室を造り上げたとすると、私たちが図書館に入るまで、犯人は大図書館の中にいたことになりませんか」

「ですが、ここの天井は開く仕掛けになっているのでしょう。本棚で扉を塞いで天井から外へ出ればいいのではないですか」

「さすが椛さん、それはよい着眼点です。では、小悪魔さんにお聞きします。図書館の天井を開けるにはどれほどの力が必要ですか?」

「以前、メイド妖精が十人掛かりで開けてました」

「ということは、メイド妖精十人分の力を持っていれば、一人で天井を開けることも出来るということになりますね。たしかに、それほどの力を持っていれば本棚を倒して密室を造ることも可能ですよね」

 

 椛は一人納得した。そこで雛は早苗に尋ねる。

 

「だとしたら、本棚を動かせるほどの力を持つ者が密室を造った犯人ということになるのかしら?」

「そういうことになるのでしょうか」

 

 早苗はどちらとも取れるような、含みを持たせる口調で答えた。

 椛はそれを聞いて戦慄した。ある仮説を思いついてしまったからだ。

 本棚は椛でも持ち上げるのに苦労するほど重い。しかしそれを簡単に持ち上げた者がいた。

 吸血鬼のフランドール・スカーレット。そして姉のレミリアにもそれが可能だ。密室を造ったのはこの二人のどちらかなのか、それとも両方であるのか。

 

「つまり、私を――いえ、私とフランドールを疑っているわけね」

 

 レミリアもその可能性に無自覚ではなかった。

 そういうわけでは、と雛は慌てて否定をした。

 早苗はそこで紅魔館の主を見やって、言った。

 

「いえ、疑うまでもありません。レミリアさんとフランドールさんには不可能ですよ。

 なぜなら、今日は――」

 早苗は天井を、そこにある天窓を指差した。

 椛はそこで思い出した。椛と早苗が紅魔館を訪れたとき、外では雨が降っていたのだ。

 天窓には今も雨の水滴が降り注いでいる。

 そう、今日は昼から雨が降り出していた。

 ああ、と誰かの声が漏れるのが聞こえる。

 早苗は天井を見上げる一同に言い放った。

 

「吸血鬼は雨の日に外に出ることができません」

 

 

 

 

 椛はレミリアが犯人ではないと聞いて、ささやかながら安堵した心持ちになる。友人に殺されるのはあんまりだと考えていたからかもしれない。

 

「では、レミリアさんとフランドールさん以外ならば天井を開けることが可能なのかというと、そうではありません。ご覧の通り外は雨。天井を開ければ雨が図書館内に入ってしまいます。図書館の飽和水蒸気量は存じませんが湿度から判断するに、雨に濡れた床が渇くには時間が掛かるのではないでしょうか。外に出てしまえば、床の水滴を拭き取ることもできませんからね。天井は開けられていないと、そう考えて間違いないでしょう」

 

 早苗の言葉を信じるならば、まさしくこの大図書館は密室であったと言える。紅魔館内へと続く唯一の扉は塞がれ、外へ出られるという天井は開かれていない。パチュリーを殺した犯人は、扉が破壊されて皆が入ってくるまで図書館内にいたことになる。

 椛にはその犯人の存在を感じ取ることができなかった。犯人は透明人間だったのか、そんな空想さえ浮かんでくる。

 しかし、早苗は椛がまとめた覚書を見て、たしかに言ったのだ。

 

『犯人の名はこの覚書の中にもあります』

 

 だから、どこかの人形遣いが痴情の縺れから犯行に及び、誰にも見つからないままに逃亡した、ということなどはないはずなのだ。

 無論、早苗の言うことを信用するなら、という条件付きではあるが。

 

「じゃあ、密室は誰が造ったのよ!」

 

 レミリアが再び声を荒げた。早苗は、今度は素直に答える。

 

「密室を造ったのはパチュリーさんですよ」

 

 椛は驚いたが、よくよく考えてみれば当たり前のことだ。

 密室には、パチュリーただ一人しかいなかったのだから。

 

「どうしてパチュリーは密室を造ったんだい?」

 

 にとりが尋ねた。

 

「聞けば、この図書館の扉は外側からしか施錠も開錠もできないらしいですね。だからこそ――」

 

 早苗はにとりを見やる。正確にはにとりの胸元にある鍵のアクセサリを見た

 にとりはそこで、ようやく納得したようだ。

 

「本棚を鍵の代わりにしたというわけだね、なるほど」

 

 その通りですと早苗は言う。

 

「パチュリーさんは大図書館に鍵を掛けたのです」

 

 随分と大掛かりな鍵だ。

 ラクトガールとしての意地がそうさせたのかもしれない。

しかし、それならそれで問題がある。今度は文が早苗に尋ねる。

 

「ですが、パチュリーさんに本棚を移動させるような力があるとは到底思えませんよ」

「でしょうね。私もそう思います。おそらく、本棚にはパチュリーさんの魔法が掛けられていたのではないかと思うのです。図書館の本には防火などのために魔法が掛けられているらしいですからね。本棚に魔法が掛けられていてもおかしくはありません。

 それについてはどうでしょう、小悪魔さん?」

「あ、はい。その通りです。パチュリー様の魔法には本棚を自由に動かせるものがあります。図書館のレイアウトを変える際はいつもその魔法を使っていました」

 

 そうですか、早苗は納得したように言った。

 

「小悪魔さんの言う魔法により、本棚は倒され、扉の方へ寄せられたというわけです」

 

 こうして、密室の扉に鍵が掛けられたのである。

 しかし、ここで最初の疑問へ立ち戻ってしまう。

 

「どうして、密室を造ったのですか?」

「椛さん、簡単なことですよ。これは私たちが鍵を掛ける理由と全く同じです。私たちが鍵を掛けるのは、扉の内側に入れたくない者が存在するからではないですか。もし入れたくない者が一人も存在しないのであれば鍵を掛ける必要性はありませんよね。当たり前のことなので、逆に意識することがないのかもしれませんが」

 

 もっとも――早苗は補足した。

 

「施錠というのは権利であって義務ではありません。他人を迎え入れたいのに鍵を掛けたり、侵入されたくないのに鍵を掛けなかったり。天邪鬼なことをしてもそれを責めることはできません。勿論、それを奨めることはもっとできませんけどね」

 

 それはつまり――

 

「パチュリーさんは、出て行った犯人が戻ってくることを良しとしなかったというわけですね」

 

 そういうことですと早苗は首肯した。

 

「では、どうして犯人を入れたくなかったのか。もう一度襲われるという恐怖に駆られてそう考えるに至ったと見做すこともできるでしょう。しかし、それ以上に犯人が戻ってくることを忌避する理由があったのです。なぜなら図書館の中には――」

 

 その続きはレミリアが言った。

 

「ダイイングメッセージを残していたから。犯人にそれを処分されるのを避けたかったのね」

 

 

 

10

 

 ここにきてようやくダイイングメッセージの話題に戻って来た。早苗は密室について語っていたので、随分と遠回りになってしまった。

 しかし、密室について語ることがパチュリーに対しての手向けになるのかもしれない。根拠はないが、椛はそう考えた。

 

「密室は犯人にダイイングメッセージを処分されないようにした結果生まれたものだったのです。密室であるが故に自殺と思われてしまうことも想定していたでしょう。自殺であるならどこかに遺書があるはず――そう考えて探索をすることでダイイングメッセージが発見される。その筋書きを立てることも、パチュリーさんほど知識を持った方ならば難しくないでしょう」

「でも――」

 

 レミリアが納得できないという表情で言う。

 

「遺書を探してる面々に犯人がいたらどうなの?

 もし犯人が最初にダイイングメッセージを発見したら、そこで処分されてしまったかもしれない」

 

 結果的にメッセージは残っているが、パチュリーにしてみれば一か八かの賭けだったのか。ギャンブルというのは統計的であっても論理的ではない。らしくない、といった印象が拭えないのだ。

 

「ですから、パチュリーさんはダイイングメッセージに仕掛けを施したのです。これは犯人に最初に発見されても構わないようにと仕組まれたものでした」

「どんな仕掛けよ」

「疑いの目が真っ先に美鈴さんへと向けられるような仕掛けです」

 

 ――あれは、確信犯だったのか。

 椛は納得できたのだが、

 

「ちょっと待って下さいよ」

 

 美鈴はそうもいかなかった。

 

「迷惑とまでは言いませんが、とんだとばっちりですよ。どうして私が犯人だと思われるようなメッセージをわざわざ残しておくんですか?」

「それはきっと、美鈴さんが誤って断罪されても構わないと思ったからでしょう」

「そんなあ……」

「冗談ですよ」

 

 冗談が冗談に聞こえない。不思議である。

 

「あのメッセージは美鈴さんのことを示している、そう勘違いさせることに意味があったのです。言うまでもなく勘違いさせる対象は犯人に他ありません。

 一見、自分以外の者を示しているように思われるメッセージ。犯人ならばこれを利用しないということはないでしょう」

「いわゆる『ミスリード』を利用して自分に疑いの目が向かないようにしたのね!」

 

 フランドールの言葉に早苗は頷く。

 

「そうでなくとも、そのときには遺書を探すために皆が周りに目を光らせていたのですから、メッセージを処分するなど不審な行動は取りにくい状況でした。メッセージがそのまま残る可能性を大きくするために取られた配慮だったのです」

「でも私が疑われることには変わりないでしょう」

「ええ。ですが、疑いは簡単に晴れます。屋外で門番をしている美鈴さんには鉄壁とも言えるアリバイがあるのですから。

 では、美鈴さんが犯人でないとするなら、一体ダイイングメッセージは何を示しているのか、改めて考える必要が出てきます。そして、そのときにこそダイイングメッセージの真の姿が現れるようになっているのです。

 それでは皆さん、このダイイングメッセージをもう一度良く見てみましょう」

 

 早苗が件の地球儀を指差した。

 清――中国を示している点に、赤道の一部をなぞった線。

 

「この赤道をなぞった線ですが、中ほどが少し膨らんでいるのが見えますか?」

 

 太平洋上から延びて、南亜米利加大陸の上に掛かっている線。その真ん中辺りが、早苗の言う通りに膨らんでいた。

 

「おそらくパチュリーさんはここに血で点を打ったのだと思います。清の字を塗りつぶした点のように」

 

 たしかに血の付着の仕方を見ると、そこに線を描き、その上から点を重ねたように見える。

 そこだけ微量ながら血の量が多かったため、凝固したときに膨らんでいたのだった。

 カモフラージュか、椛は納得する。

 しかし、それは何のためのカモフラージュなのだろうか。

 

「ですから、この線は赤道の『赤』転じて『紅』を示しているように見せるためのカモフラージュだったのです。言いかえればミスディレクションとも言えますね。

 パチュリーさんが本当に示したかったのは、この点の方だったのです。つまり、この地点こそが鍵だったのです」

 

 赤道上、そして南亜米利加大陸にある一点。

 それが示す地点とは――

 

「ここは――エクアドルです」

 

 

 

11

 

 エクアドル――。

 元々外の世界にいた紅魔館の面々はともかく、昔から幻想郷で暮らしている山の妖怪には馴染みのない言葉である。

 

「小悪魔さん、ちょっといいですか」

 

 早苗は小悪魔の元へと寄って、口元を手で隠し、耳打ちをした。

 小悪魔は一瞬驚いた顔をする。耳に息を吹きかけられたのかもしれない。

 小悪魔は間を空けずにどこかへと飛び去ってしまった。

 

「エクアドルとは、スペイン語で『赤道』という意味の言葉です。それがそのまま国名となっています。首都はキト、言語はスペイン語です。パナマ帽の名産地と言えばわかりやすいかもしれません」

「あー、わかるわかる」とにとり。

「なるほど、了解しました」と文。

 

 判断基準が今一よくわからない。

 そこで小悪魔が本を持ってきた。

 早苗はそれに構わず話を進める。

 

「そして問題はもう一つの点です。清を示しているのですが、これは中国は中国でも『中国人』ではなく『中国語』を表していたのです」

 

 椛は小悪魔の持っている本を見る。距離は離れているが、目の利く椛には大した問題ではない。

 褪せた赤褐色の、布張りのハードカバー。

 金で背に箔押しされた文字が読み取れる。

 日中辞典――。

 

「さあ、小悪魔さん。皆さんに見せて下さい。

 エクアドルを中国語で表すとどうなるかを」

 

 小悪魔は手慣れた様子で頁を捲っていった。

 その速度が緩んでいき、やがて手を止めた。

 そして、開いたページを皆の方へと向けた。

 椛はその文字を、皆より一早く読み取った。

 

 

 

エクアドル――厄瓜多

 

 

 

「厄!」

 

 椛は叫んだ。

 

「つまり、犯人は――」

 

 しかしその後の言葉が続かない。

 

「ええ。このメッセージは『厄瓜多』つまりは『厄』を示していたのです。

 つまり、犯人は『厄をため込む程度の能力』を持つ――鍵山雛さん、あなたです!」

 

 早苗は力強く雛を指差した。

 雛は表情を変えることなく早苗と対峙する。

 椛は状況を飲み込めず、淡水魚よろしく口をぱくぱくと開閉させている。

 そして雛は恬然として言った。

 

「その通り、私が犯人よ。よくわかったわね」

 

 

 

12

 

 鍵山雛が自分が犯人であることをすんなり認め、事件はそこで解決したかと思われた。

 だが――

 そこで早苗は驚くべき言葉を放った。

 

「しかし、雛さんはあくまで犯人なのであって、真犯人ではありません。黒幕は他にいるのです」

 

 椛は早苗の言葉で、さらに混乱してしまう。

 そんな様子を気にすることなく早苗は言う。

 

「パチュリーさんを殺した、真の犯人は――」

 

 早苗は一息置き、そこにいる皆を一瞥した。

 

 

 

「真犯人はパチュリー・ノーレッジさんです」

 

 

 

 早苗の言った言葉に、皆は同様に動揺した。

 パチュリーを殺した真犯人が、パチュリー。

 おおよそ意味を成していない言葉に思える。

 

「それはどういう意味なのですか?」

 

 椛は、ひどく直截的に問いかけた。

 

「つまり、この事件の真相は『密室殺人』に見せかけた『密室自殺』だったのですよ。密室殺人に見せるために用意されたダミーの犯人。それが雛さんの厄割――ならぬ役割だったのです。

 そうですよね、パチュリーさん?」

 

 早苗は虚空に向かって語り掛けた。

 椛は一瞬、早苗がパチュリーの霊に話しかけているのかと思った。

 

『その通りよ……』

 

 耳の利く椛でもかろうじて聞こえるというほどのか細い声。

 本棚の影からふらふらと揺らめきながら人影が姿を現した。

 息も絶え絶えで顔色も青色に染まっていて死体と大差ない。

 死体と大差とないとはいえ霊体ではなく実体を有している。

 そこに現れたのは死んでいたはずのパチュリーの姿だった。

 

「随分と消耗したのですね。その様子だと……」

「随分と回復したのだけど。この有様でも……」

 

 椛は何が何だかわからなくなった。パチュリーはたしかにナイフで胸を刺されて死んでいた、誰あろう椛自身がそれを確認したのだ。

 

「それで、どう、楽しんでもらえたかしらね?」

「ええ、そりゃあもう」

 

 早苗は満足げに笑って見せた。

 

「これはどういうことですか?」

 

 椛は事情が呑み込めないでいる。

 

「だから、全部嘘っぱちなのよ。一連のことは親睦会の一環で、お遊びみたいなものよ」

 

 パチュリーは淡々と言う。

どうやら、事件は紅魔館側が用意したシナリオで、パチュリーが言うには『探偵ごっこ』なんだそうである。

まんまと騙された椛にしたら、簡単に納得できるものではない。

 

「まあ、それはいいとして、パチュリーさんは死んでいたはずですよ。どうして……」

「ただ、椛さんがそう判断しただけです。パチュリーさんは、死んだ振りをしていただけだったのですよ」

「では、刺さっていたナイフは?」

「それは小道具でしょう」

「あの血は本物でしたよ?」

「吸血鬼の館なのですから、血は簡単に調達できるでしょう。ナイフによる傷は確認していませんでしたからね。傷口からの出血と見誤っても、それは仕方ないことですね」

「脈が止まっていたのは?」

「そうですね――」

 

 早苗の言葉をパチュリーが遮る。

 

「コホッ、コホッ、ケホッ……」

 

 喘息の発作であった。小悪魔が慌てて薬を探していたが、その間に咲夜が首尾よくトレイに薬と水を載せてやってきた。

 

「パチュリーさんは相当無理をしたようですね」

 おそらく、早苗は続けて言った。

 

「パチュリーさんは自ら心臓を止めていたのです。

 文字通り息の根を止めていたことになりますね」

「心臓を止める――そんなことが可能なのですか?」

「可能だったのでしょうね。だからこそ、その迫真の演技に騙されてしまったわけです」

 

 早苗はそう言いながら、ようやく落ち着いたパチュリーの姿を見る。

「魔法使いは飲み食いをせずとも生きていけると聞きます。それはつまり新陳代謝のサイクルの外にいるということでしょう。心臓を止めたところで何の不都合もありません。

 ただ、呼吸をしていないということは新鮮な酸素を補給することができないということです。喘息で貧血のパチュリーさんには辛いものがあったでしょうね」

「酸素が足りないだけじゃないわ。身体に乳酸が溜まって全身筋肉痛よ」

 

 どうしてそこまで、椛が理解できないといった風に尋ねると、パチュリーはニヒルに笑った。

 

「あなたと同じよ。私も形から入る性質なのよ。

 それにしても、最後まで騙し通すつもりでいたんだけど」

 パチュリーは雛に目くばせをした。雛は頷き、そして語り出す。

 

「本当は私が犯人って解答に辿り着いた時点で終わりだったのよ。そこで死んだはずのパチュリーが登場して皆を驚かす、っていう手筈だったのだけど。早苗さんは全部お見通しだったというわけね」

 

 少なくとも椛を驚かすことには成功したのだが。

 

「どこから気付いていたの?」

 

 パチュリーが聞くと、そうですね、と思案した顔付きになる。

 

「正直に言うと、紅魔館に入る前から胡散臭い館だなとは思っていましたけどね」

 

 そして早苗は語り始めた。

 

 

 

13

 

「疑いが濃厚になったのは倒れているパチュリーさんを発見したときです。

パチュリーさんは心臓にナイフが刺さっていて、血を大量に零していました。

 これは変だとは思いませんでしたか、椛さん?」

 

 まさか、このタイミングで尋ねられるとは思わなかった椛は完全に虚を突かれた形となった。

 

「え、えっと、心臓は全身に血を送り出すポンプですから、刺されたら血がいっぱい出るのは当たり前です。普通はそう考えますよ」

 

 早苗は椛が言った『当たり前』と『普通』という単語を反復して呟いた。

 そして、矢庭に微笑んで、言った。

 

「常識に囚われてはいけないのですよ、椛さん」

 

 早苗は続ける。

 

「たしかに心臓は血を送り出すポンプで、傷を付ければ多量の出血は避けられません。ですが、ナイフで刺されても、そのナイフが刺さったままであったなら、そうでないときよりも出血は少なくて済むのです。ナイフが傷の栓をしているというのもありますし、ナイフを抜くときに組織を余計に傷つけるということもありませんからね。

 幾度か胸を刺されていて傷が他にあったというのなら話は別なのですが、それもありません。なぜなら死体の状況は――」

 

 心臓を一突き、そう見受けられた。

 現に椛はそれを確認していたのだ。

 

「それに服が――布が血を吸収しますから、床に血が大量に零れているのは、やはりおかしいですよ。そこから、血が初めから用意されていたもの、ナイフは刺さっているように見えるだけの小道具、パチュリーさんは死んだ振りをしているだけ、という考えに至った時点で、私にとっての謎は解決していたのです。

 ダイイングメッセージが――パチュリーさんは本当にダイイングな状況だったわけですが――見つかったのはその後です。私としては、もう謎は解決しているわけですから、消化試合のノリで解きました」

 

 以上が、早苗は強調して言った。

 

「私がこの事件の全貌を解き明かした所以です。

 何かご質問はありますか?」

 

 皆がその雰囲気に呑まれて、何も言えなかった。

 

「ないようですので、これにて――」

 

 早苗は屹然と言い放った。

 

「QED――証明終了とさせていただきます」

 

 

 

 

 

ミシャグジ様の御御足(要は蛇足)

 

 

 

 紅魔館にて一夜を明かし、椛たち――山の住民たちは紅魔館を後にすることになった。

 雨はとっくに上がっていて、雲のない青空が広がっていた。

 快晴だった。この調子であれば、昼前には地面も乾くだろう、椛はそう思った。

 

「それにしても――」

 

 椛は話を切り出した。

 

「昨日の早苗さんの推理は見事なものでしたね」

 

 暇を持て余している同僚への、いい土産話になるだろう。

 椛は早く他の者にも、事件の話をしたくてうずうずしていた。

 早苗は、奢った様子もなく、それでいて謙遜の姿勢を誇張することもなく答えた。

 

「私は、小さな頃から、そのような機会に触れることが他の人よりも多かったのです。推理におけるミソとも言える『非論理的な事象に論理的な解決を与える』という行為は取りも直さず信仰に繋がるものですからね」

 

 曰く、早苗は表情を固くして言った。

 

「風が吹き荒ぶのは何故か?

 ――神の御心が荒れているからだ

 雨が降り続くのは何故か?

 ――神の御心が鎮まらないからだ

 雷が地を打つのは何故か?

 ――神の御心が猛っているからだ

 凶作が起こるのは何故か?

 ――神への奉納が足りないからだ」

 

 早苗は表情を和らげて椛を見る。

 

「ね、実に論理的でしょう?」

 

 椛は納得したような、話をはぐらかされているような不安定な気分に陥ってしまう。宗教家との話にはつきものの感情である。

 

「では、昨日の事件――結局、狂言だったわけですが――それも早苗さんにとっては取るに足りないものだったのですか?」

 

 いいえ、早苗は地面に水平に首を振る。

 

「事件はとても面白いものでしたよ。犯人が雛さんで、被害者がパチュリーさん。

 殺される側がラクトガールなら、殺す側もラクトガールだったというわけです」

「ラクト……ガール?」

 

 Locked Girl、鍵っ娘。

 事件は密室での――鍵にまつわる事件だった。

 

「雛さんの名前には『鍵』という字があります」

 

 ああ、椛は声を漏らした。

 

「そして、もう一つ。これは外の世界の推理小説や刑事ドラマでよく出る言葉なのですが。その中では事件のことを――」

 

 早苗は一呼吸溜めて言い放った。

 

「『山』と、そう呼ぶのですよ」

 

 密室の中の事件。

 鍵の山、つまり鍵山。

 

「後付けなんですけどれね」

 

 舌を出してお茶目に笑う早苗。

 椛は唖然として立ちすくんでいた。

 その様子を見て早苗は椛へと歩み寄る。

 

 そしておもむろに椛にその手を差し出した。

「それでは、帰りましょう。私たちの――山へと」

 

 椛は早苗の方へ、そして戻るべき日常へ一歩進める。

 晴れ晴れとした気持ちで、自分を導く、その手を取った。

 

 

 

(了)

 

 

 

 

 

後書き・解説

 

 記念せざるべき東方創想話デビュー作品。

東方で本格ミステリっぽいものをやろうとしたら、ものの見事に糾弾されました。

 なのでこちらの修正版では「実は『探偵ごっこ』っていうお遊びだったんだよー」ということにしてあります。所詮お遊びなんで深く突っ込まないでください。

 あと、早苗と椛のコンビにはもう一度、二度活躍の場があるので乞うご期待です。

 

以下、テンプレ。

 

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